禅の道場「永平寺」で参禅。そこで見たものとは(後編)

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参禅研修3日目 : 厳しい修行僧達の生活の実態を知る


04:00 振鈴(起床)

04:20 坐禅

05:10 朝課

06:30 小食(朝食)

07:30 坐禅(止静→経行→抽解→止静)

09:00 作務(掃除)

10:00 坐禅(止静→経行)

11:30 中食(昼食)

12:30 永平寺ダムへ散策

15:30 茶話会

17:00 薬石(夕食)

18:00 入浴

19:00 坐禅(止静→経行→抽解→止静)

21:00 開枕(就寝)

 

真冬には2メートルも雪が積もる永平寺だが、修行僧は年中裸足で過ごし、基本的にお湯は使わない生活を送っている。冬に比べればまだ暖かい方なのだろうが、この日の朝は身震いする寒かった。僧堂から法堂へ行く間に屋根だけついている廊下があり、ここでお釈迦様に一礼するのだが、寒い中にも身が清められるような清々しさがある。

 

小食でまたも美味しいお粥とごま塩を頂き、坐禅。相変わらず足は痛くなるが、40分を2時間くらいに感じていた感覚が、徐々に短くなってきた。悩みについて考えることを諦め、和尚さんのお話にあったとおり、考えが浮かんできてもつかまずに放すことを意識すると、何も考えず無で居る時間が少しずつ増えたようにも感じる。良い方向に転び始めたようだ。

 

作務では、僧堂・東司・休憩室をグループに分かれて掃除。箒ではわき、床や畳、扉など全て拭き上げるのだ。拭き上げは、中腰になって畳一畳分の幅で後ろ向きに進みながら行い、仏様にお尻を向けないように進路をとる。永平寺に居る僧侶たちは、毎日、こうして建物や庭の手入れを行っていて、古くからの物を綺麗に保っている。

 

午後は永平寺ダムへ散策に出る。通常、修行僧は永平寺の外に出ることは禁じられているが、この日は特別に世話役の雲水さんも一緒に外出。ここまでの二日間はほとんど私語する時間もなかったので、散策しながら雲水さんや参加者との会話を楽しむことができた。

何よりも衝撃なのはやはり、厳しい修行の実態だ。

  • 主に2月に入山が許される。雪の降り積もり中所定の時間に修行僧は山門へ向かうが、極寒の中数時間待たされ、修行僧から「なぜ永平寺で修行をしたいのだ」などという問いに応えてやっと門をくぐることができる。
  • 修行の為に必要な費用は、5,000円。修行中に死亡した際の葬式代のための費用。
  • 入山した修行僧はまず、吉祥閣の地下に通されて2週間ほどかけてみっちりと作法やお経を覚える。その後やっと日の本を歩くことが許される。
  • 2年目までの修行僧は、一般人と目を合わせたり、(公式的なもの以外は)写真に写ってはならない。その為、私たちがすれ違った修行僧は目を伏せて足早に過ぎ去っていったし、同行していた二年目の修行僧は境内にある像を見て「初めて気が付きました」と言っていた。
  • 修行僧の月給は数百円~数千円程度で、日用品はたまに買いに出ることができるのだそう。
  • 食事は精進料理なので、ビタミンが少な目。入山したばかりの修行僧は水分の取りすぎでビタミンが流れ出てしまい、ほとんどが脚気になる。病院でビタミン剤を処方してもらうのだそう。今の時代に脚気なんて、と思うが彼らの生活を見ていれば納得がいく。
  • 数百もあるお経だが、修行僧はこれを暗記しなくてはならない。季節によって変わるが、大体朝4時頃から夜9時頃まで坐禅やお勤めを行っている為、その他の就寝後や早朝に月明かりや東司の電気で勉強する。
  • 修行僧は跡継ぎが多く、盆正月などは実家の手伝いに帰ると聞いたことがあるが、永平寺では下山許可が下りるまでは帰ることは許されていない。過去に厳しい修行から逃げ出した者も居るそうだ。
  • 冬でもお湯は使えず、水で拭き掃除を行う。道元禅師を奉っている建物の前の石畳は毎日朝3時に拭き掃除をするのだが、冬場は拭いたそばから水が凍るパキパキという音がするという

晴天の下、サラリーマンをしていたが、自分を変えたいと思っていたところで剣道の師匠からの勧めで修行僧となった雲水さんの話や、修行あるある話を聴いてまた永平寺へと戻っていった。

 

茶話会では和尚さんからのお訊ねで、一人ずつどのような経緯でこの参禅に参加したのか、参加してみてどうだったかを話した。参加者は北は宮城、南は熊本、年齢も大学生から70代の方まで幅広い層が全国から集まっていた。共通していたのは、休学や転職、人生の節目を迎え、自分の人生に向き合っていたところで坐禅を通して何かを得たくて参加していたことだ。

しかし、和尚さんは「皆さん大体、何かを変えたいとか、悩みを抱えたりして修行に来られますが、結局坐禅をしたところで何が変わるわけでもなく、自分の中に答えがありますよ。周りと向き合う前に、自分と向き合ってみてください。」とのこと。何かを求めて坐禅しに来たのにと思う人も居たかも知れないし、2日目には私も似たようなことを思っていたが、この時は深く納得した。この3泊4日の間に坐禅をしたから問題解決になる訳もなく、私たちのやっている坐禅というのは自分と向き合う為のきっかけや過程、考え方、姿勢であるのだと思う。

 そして最後に、「人生にはいろいろ障害があるが、上手くかわしながら生きていきなさい」という教えとしてひとつ詩を教えて頂いた。

岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる

 

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参禅研修4日目(下山) : 清々しい気持ちで、新たなる日常に向けて下山


04:00 振鈴(起床)

04:20 坐禅

05:00 朝課

06:30 小食(朝食)

07:00 作務(掃除)

08:30 感想提出、荷造り

10:00 解散

 

最終日の朝、最後の坐禅に名残惜しさを感じながら、丁寧に坐る。警策(きょうさく)を受ける最後のチャンスなので途中で合掌して待ち、警策をお願いした。ズシッと重く刺さる感じで、じんとする。40分という時間はあっという間に過ぎてしまい、小食、作務を済ませて解散の支度となった。

 

毎日みっちりと付き合った応量器展鉢は、3日目くらいから頭に入っていて、この日の小食では雲水さんの指示を待たなくても進めることができるようになっていた。なかなかに気持ちが良い。そして、記念として箸・刷(せつ)・浄巾(じょきん)をお土産に頂くことができた。

 

借りていた袴などを返却し、預けていた貴重品類を受け取り、和尚さんや雲水さんからお別れの言葉をいただくと、解散。その後希望者は雲水さんに境内を案内して頂いて下山となった。

 

参禅研修を経て、悩みが解決することはなかった。しかし、これまで見たことのない厳しい修行の世界や、仏教の教え、応量器展鉢をはじめとした作法や合掌の気持ち、坐禅をして得られる平穏などを知り得ることができた。何をとってもそうだと思うが、百聞は一見に如かず。この経験を経てまたひとつ新しい世界を知った。

 

永平寺」で見たものとは… 自分とじっくり向き合う人の姿、その大切さ だと思う。

 

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